出産までの243日の記録~人生の転機~

娘の寝顔 趣味・日常
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こんにちは!よっしーです。

2020年1月某日、午前0時32分。

我が家に娘が誕生しました。

妊娠がわかってから、毎日エバーノートで記録を取りました。

父親目線での、出産記です。(ザクっとしたものですが)

妊娠がわかって

妊娠が分かったのは、2019年5月の終わりの土曜日。

ゴールデンウィークに入る前でした。

嬉しさと同時に、不安が。。。

  • 現在の収入で食べていけるのだろうか。
  • 家はどうしようか。
  • ちゃんと育てていけるだろうか。

などなど、あらゆる不安が襲ってきました。

特に、収入面。

以前にこのブログにも書きましたが、自分の営業の仕方や仕事の取り方がまだうまく確立できておらず、3月に繁忙期を作ってしまい、営業が思うようにできませんでした。

その結果、4月以降の新規の見込みがあまりなく、現状維持もしくは少し上がっていくような感じを想定していました。

これが妻と2人であればなんとかというラインで、とても子供を養っていくような収入ではありませんでした。

妊娠がわかってからの1か月は、個人事業主を続けるかどうか非常に悩みました。

あと1年違っていれば、独立を継続したまま養っていけたんじゃないかと思っていますが、今となってはわかりません。

実際に就職して、独立していたほうが気楽でよかったなと思うことも多々ありますし。笑

それと食べていけるかは別問題なので、今回はいったん事務所を閉め、再就職する道を選びました。

小さい事務所だったとはいえ、お客さんにも恵まれいい経験になりました。

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妊娠(初期、中期、後期)

初期(~15週まで)

妻の妊娠がわかってから、まず考えなければならなかったのは、

  1. 産婦人科
  2. 出産病院

等々でした。

産婦人科については、当時住んでいた近くに先輩が住んでいたのでオススメの産婦人科を紹介してもらい、受診予約。

1週間後、産婦人科でエコー写真初めて見ました。

まだ全然人の形はしていませんでしたが、しっかり心臓が動いていました。

ただ、紹介していただいた産婦人科は出産設備がないので、途中で出産できる病院へ移らなければなりませんでした。

産婦人科には「夫」が付き添うことがあまりないようですが、出産できる病院に移るまでの診察は、最後の1回を除きすべて付き添いました。

そこで、「どこで出産するか?」が次の問題に。

出産にも色々あるようで。。。

  1. 自然分娩
  2. 無痛分娩
  3. 帝王切開

漠然とテレビでの出産シーンなんかのイメージがありましたが、それまでの過程を「全然知らない」んだと実感しました。

そもそも妊娠してから出産までってどのくらい?などなど。学生の保健体育の授業かなにかで習ったと思いますが、全然覚えておらず、不勉強にもほどがあると知りました。。。

勉強のため、出産関係の本を数冊購入。

マタニティウェアを購入を購入したり。

また7月の終わりに、ミラーレス一眼『ソニーα6400』を購入しました。

生まれてくる子供を撮ろうと。

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中期(16~27週)

妊娠も5か月を超えて、安定期と呼ばれる時期に入ります。

妻もつわりも落ち着いてきました。

徐々におなかも出てきて、といった感じでした。

出産する病院も決め、引っ越しした翌週に出産病院で妊婦検診を行いました。

無痛分娩を希望していたので、入院日などを仮に予約。

戌の日には、妻と私と私の母と、3人で水天宮へお参りに。

この時期に、私の実家近くに引っ越しをしました。

子供が生まれてからは、買い物にも出にくくなると思うので、この時期にパルシステムを契約しました。

→結果として現在のこの「コロナによる外出自粛」にも一役買っています。

ようやく妊婦生活にも慣れてきて、「たまごクラブ」などの本をじっくり読む時間が取れるようになりました。

ベビー用品をいつ頃までに揃えたらいいのか、子供の名前をどうしようか、保育園の手続きはどうなっているのかなど。

出産予定日から逆算して、この時期までには何を揃えておいたほうがよさそうなど、想像以上に時間がないなという印象でした。

仕事ととの合間をぬって、就活を行い無事に就職先が決定しました。

引っ越した先から徒歩圏内の事務所に就職することができ、一安心。

性別も20週を越えたあたりではっきりわかり、「女の子」だとわかりました。

性別がわかってから、「名づけ」の本を買い、週末に妻とカフェに行き、名前を考える日々が続きました。

初めての胎動があったりと、うれしくなることも多くなりました。

出産後一番の不安材料は、「保育園の入園」でした。

申し込みも難しそうですし、そもそも「港区」は保育園に入れるのだろうかという疑問も。。。

不安だらけだったので、時間を作って区役所に要件や状況を夫婦で聞きに。

7月に買ったミラーレス一眼の使い方講座を受講したり、レンズを追加購入したり。

ベビーベッドも購入するか迷いましたが、処分に困るのでレンタルにしました。

→レンタル先はナイスベビーというベビー用品のレンタルショップです。

また、夫婦として旅行に行ける最後でもあったので、マタニティープランがある近場の伊豆へ。

あっという間の中期でした。

後期(28~40週)

後期に入ると、おなかが大きくなってきて動くのがしんどそうになってきたようでした。

入園を希望する保育園の下見に行ったり。

ベビー用品の購入リストを作り、買い出しの準備を。

買い出しは何回もいかなくていいように、1回でまとめ買い。

アカチャンホンポセブンタウン小豆沢店に買い出しへ。

ベビー服やベビーバス、チャイルドシートを購入しました。

性別がわかってから考え始めた名前の候補をお互いに出し合って絞り始めたり、漢字をよく知っている叔父(お坊さん)にアドバイスをもらってみたり。

日に日に大きくなるおなかを1週間ごとに撮影してみたり。マタニティーフォト。(購入したミラーレス一眼で)

赤ちゃんのために、エアコンではない暖房器具が欲しかったので、デロンギのマルチダイナミックヒーターを購入したり。(ついでにニンテンドースイッチを購入)

妻がついに産休に入り、自宅で過ごすように。

私も、個人事業主としての最終日と、その翌日からの就職がありました。

引っ越し、妻の産休、個人事業主から社員へと生活環境が目まぐるしく変化しました。

精神的に不安定になっている妻には大分負担をかけたのではないかと思っています。

出産病院が主催する、両親学級へ参加しました。

出産の流れや、おむつ替えなどを学びました。

徐々に予定日まで近くなり、検診の様子で、最初に予約した無痛分娩の日がわかったり変わらなかったり。

出産て不思議ですね。

予定日に近くなっても生まれる兆候がなかったので、歩くように主治医の先生から指示を受けて週末は地元を散歩するようになりました。

予定日前の最後の検診で、生まれる兆候が全くなく、仮押さえしていた無痛分娩がキャンセルになりました。

しかし、その翌日の早朝に陣痛が。

前日の検診の触診で刺激されたようで、陣痛が始まったようでした。(これも良くあること、みたいですね)

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出産当日

明け方5時ごろ目を覚ますと、妻が陣痛で苦しんでいました。

陣痛カウンターで測ってみると、陣痛が始まっていました。(まだ10分は切っていませんでしたが。。。)

近くに住んでいる母に電話をし、来てもらうことにしました。

私は仕事があるので、9時に事務所へ出社。

昼に自宅へ帰ると、陣痛の間隔が10分を切っていました。

病院へ行ったほうがいいのではと妻に確認し、病院に電話させ、陣痛タクシーを呼んで病院へ。

私は事務所に帰り、17時まで仕事。

すぐ切り上げ、自宅に戻り病院へ。

18時過ぎに病院へ着くと、陣痛室で陣痛に耐えていました。

前日まで全然兆候がなかったのですが、触診に触発されて陣痛が始まったようでした。

そこから23時50分くらいまで陣痛室でタイミングを待ち、日付が変わった2020年1月某日、午前0時32分。(出産に立ち会いました。)

無事長女が誕生しました。

記録をつけ始めてから生まれるまでの243日間、妻は本当によく頑張ってくれたと思います。

食事制限をしたり、仕事を休まなければならなかったり、自由に動けなかったり、苦しい陣痛に耐えたり。

性別や体重、身長を確認し、娘と一足先に陣痛室へ戻り、私の母と娘の初対面。

少しして妻が陣痛室へ戻ってきて、3時間くらいゆっくりしました。

そのまま妻と娘は入院。

私と母は、タクシーで帰宅。

うちに着いたのは、午前4時。

3時間程度寝て、事務所へ出社。

午後は半休をいただいて、妻の入院手続きなど。

とても長い1日でした。。。

退院まで

生まれたその日の午後にまた病院へ行き、妻と娘の様子を見に行きました。

入院手続きを済ませ、娘を抱っこ。

あまりにも小さくて、抱っこするのが怖かったのを覚えています。

妻はそこから5日程度入院し、授乳をしたり、体力回復に努めていました。

妻の母も、東京へ出てきて、そこから1か月お世話をしてもらえることになりました。

退院の日、娘の新しい洋服と妻の洋服をもって車で迎えに行きました。

娘にとっては病院以外の場所に出るのはこの日が初めて。

退院手続きが思ったよりも長引き、娘はお腹が空いてギャン泣き(;^_^A

何とか車までたどり着くも、チャイルドシートに乗せるのに手間取りさらにギャン泣き。

車内で終始泣いていました。

自宅に帰っても、哺乳瓶のセットを忘れてミルクを飲ませるまでさらに1時間かかってしまい娘に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

そして、退院した日から私と妻と娘の3人での生活がスタートしました。

退院した日の初めてのお世話は、沐浴!

張り切って準備したのはいいですが、お風呂に入れた瞬間に大量のう〇ちを(;’∀’)

妻と二人で笑ってしまいました。

とんだスタートになりましたが、わが家が一気ににぎやかになりました。

今日まで

生まれてから、3か月経ちました。

うまく抱っこできなかったり、夜泣きがずっと続いて寝れなかったり、日々戦いですね。笑

最近は夜中寝てくれるようになり、多少楽になりましたが、そんな矢先にこのコロナウイルスの大流行。

入園が決まった保育園も登園自粛となり、妻の育休が伸びました。

本当だったら、4月に妻も仕事に復帰し、娘も保育園に行き、新しい年度のスタートとなるはずでした。

状況が一変してしまいましたね。。。

0歳児のほうが重症化しやすいといったような話もあるので、外部に接触する機会が多い私は娘に思うように触れなくなりました。

散歩にも行きたいのですが、免疫を持っていない娘を連れだすのは中々怖いものがありますね。

さらに緊急事態宣言が出てからは、一応解除されるまで自らを自宅内で隔離して生活しております。(自宅内でもマスクをつけ、娘に直接触らないようにしております。。。)

本当は抱っこしたいのですが、これから先のことを考えると今は我慢だなと思っております。

→毎日検温しており、今のところ平熱で無事に過ごせております。

育児は、日々勉強ですね。

親と子供、ともに成長していくものだと実感しました。

【編集後記】

娘に接する時間が少なくなったので、皮肉にもブログやニンテンドースイッチを触る時間が増えました。

FF7リメイクもやりたいのですが、PS4を持っていないので、ニンテンドースイッチ版の無印FF7をやり始めました。

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